
白鳥山山頂近くから韓国岳を望む
霧島連山の最高峰、標高1,700mを誇る「韓国岳(からくにだけ)」。
その名の由来について、「山頂から遠く韓の国(朝鮮半島)まで見渡せるほど高いから」と解説されることがあります。
抜群の眺望を誇る山ですが、流石に朝鮮半島を肉眼で見ることは不可能です。

山頂から東側の眺望
では、なぜこの山は「韓国」の名を背負うことになったのか。
江戸時代の地誌『三国名勝図会』の記述を紐解くと、そこにはありのままの自然の姿を、国家の神話(記紀)に適合させるために、地名の漢字を変えていった「聖地化」のプロセスが浮かび上がってきます。
1. 江戸時代には「韓国」ではなかった
天保14年(1843年)、薩摩藩が編纂した『三国名勝図会』には、この山について興味深い記述が残されています。
当時、この山はもっと実務的、あるいは見たままの名前で呼ばれていました。
・本来の呼び名:「西峯」
図会はまず、この山を「西峯」と定義しています。
これは、天孫降臨の伝承地である東峯(高千穂峰)に対し、単に西に位置する峰であるためだと考えられます。
・地元民の通称:「虚國・筈野・雪・甑」
また、世間の人々(おそらく当時の地元民)は、この山を以下のような多様な名前で呼んでいたようです。
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虚國嶽(からくにだけ)
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筈野嶽(はずのだけ)
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雪嶽(ゆきだけ)
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甑嶽(こしきだけ)
これらは、「当時の山の物理的な見た目」をそのまま言葉にしたものでした。
2. 白い石や山容が作った名前
『三国名勝図会』には、当時の山肌の様子がこう記されています。
「草木が生えてなく、白い石や焦げた土などがくずれ垂れており、遠くから見れば積雪したように見えた」
このリアルな描写こそが、名前の由来を解く鍵です。
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雪嶽(ゆきだけ): 白い石や土が崩れ落ちる様子が、遠目には雪のように見えたため。
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虚國嶽(からくにだけ): 「虚(から)」とは「空っぽ」「何もない」という意味です。草木が生えず、荒涼とした岩肌が広がる「不毛の地(空虚な地)」であったことから、「虚國(からくに)」の字が当てられた。
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筈野嶽(はずのだけ): えびの高原側からの山容は山頂が2つあるように見えます。その山容が「矢筈(やはず)」(矢の後端にある弦をかけるためのくぼみ)の形に見えたため。
つまり、江戸時代の人々にとっての「からくに」とは、「目の前にある、草木も生えない空虚な山」を指す言葉だったのではないでしょうか。

えびの高原展望台から韓国岳を望む
3. 明治の転換点:記述を「事実」にするために
しかし、時代が明治へと移り変わり、天皇中心の国づくりが進む中で、霧島の山々には新たな役割が求められました。それは「記紀神話の正当性を証明する」という役割です。
『古事記』の天孫降臨の段には、ニニギノミコトが降臨した地の描写として、次のような一節があります。
「此地は韓国(からくに)に向ひ……」
この記述を「神話的事実」として確定させるためには、高千穂峰の近くに「韓国」を想起させる物理的な証拠が必要でした。
そこで注目されたのが、「虚國(からくに)」と呼ばれていた西の最高峰です。
音は同じ「からくに」でも、意味は「空虚」と「韓国」で全く異なります。
しかし、ここであえて「虚」の字を捨て、古事記の記述に合わせて「韓国」の字を当てることで、この山は「不毛の山」から「神話に記された韓国」へと、意味の転換(書き換え)を果たしたのではないでしょうか。
4.風景の「聖地化」
また、図会にある「一説曰く、高千穂二上峯(日本書紀)の一峯である」という記述も、この書き換えを後押ししたのではないでしょうか。
「東の高千穂峰」と対になる「西の韓国岳」をセットにすることで、霧島全体が記紀神話の記述通りの舞台装置として完成したのです。
私たちが現在目にする「韓国岳」という名称。
それは、自然発生的な地名(虚國、雪嶽)が、近代国家の成立とともに「神話を証明するための証拠品」として再定義された、歴史の痕跡そのものなのかもしれません。

高千穂峰山頂から韓国岳を望む
5.編纂者の警告
ちなみに『三国名勝図会』には、次のような一言も添えられています。
「(古事記の記述にこじつけて)皇孫が遥か外国の韓国を望まれたから『韓国見岳』と呼ぶのだ、などという説があるが、そのような俗説は決して信用してはならない」
これは、地名の本来の意味が、政治的な解釈によって歪められていくことへの編纂者なりの警告だったのかもしれません。
結果として現代では「韓国岳」の表記が定着しましたが、その名称の中に、人々の歴史が隠れていることも、山を楽しむロマンの一つかもしれません。
筆者個人的には、当時の人々が白い山肌を眺めて名付けたという、『雪嶽(ゆきだけ)』という呼び名が素敵だなと思いました。

厳冬期の韓国岳